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中央構造線について [地質学]

中央構造線に関しては、たくさんのサイトで詳しく取り上げられています。
おすすめは「大鹿村中央構造線博物館」のサイトです。
http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/index.htm
 
ですので、ここでは私がこの「中央構造線」をどのように理解して来たのかを書くことにします。

 私の理解したところに間違いや疑問がありましたら、ぜひアドバイスをよろしくお願い致します。

2012年 6月より追加編集をいたします。
「中央構造線の形成過程を知る」の項目に、

2010年に「地学雑誌」の特集「日本列島形成史と次世代パラダイム」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/119/2/119_2_187/_pdf

の中の論文のひとつである
「日本列島の地体構造区分再訪」
http://ea.c.u-tokyo.ac.jp/earth/Members/Isozaki_JG/10Isozaki.pdf

で、新たな中央構造線の形成過程が示されています。
最近の研究に基づく内容ですので、
これからは、この「日本列島形成史」が主流となるでしょう。

しばらくの間は、「2.形成過程」の考え方を併記することにいたします。


2017年5月に「12.九州に中央構造線はない」を追加しました。





1.衛星写真などで中央構造線を見る

・和歌山から徳島、愛媛にかけての直線はとても目に付く
・直線なのは新しい時代に出来たからである。

・断層崖と破砕帯の侵食により形成された



2.最新の「日本列島形成史」から中央構造線の形成過程を知る

・中央構造線を「白亜紀から続く、大規模な横ずれ断層である」と見るのは間違いである。
なので棚倉構造線とは、つながっていたことはない。

・現在は基盤岩の年代や、地殻深部の三次元形態が
判明した。

「日本列島の地体構造区分再訪」のP.1017の図4B
「西南日本の地殻断面」を参照してください。
西南日本の地殻断面

「古中央構造線」

・それは三波川帯が低角度(ほぼ水平)で大陸側(北側)に傾斜する「低角度衝上断層」である。
これを「古中央構造線」と呼ぶ。現在一部地域の地上で見られる「地質境界の中央構造線」はこれが隆起したものである

・この断層(古中央構造線)が動いたのは、日本海拡大の時で、
第三紀の約2000万年前~1500万年前の間である。
なお、「内帯と外帯」の区分はこの時から言えることである

・このときに領家帯の南翼と和泉層群の南半を含む
約150~200kmの地帯が、
三波川帯の上面の「古中央構造線」を衝上断層として隆起し山となり、現在は侵食されてほとんど存在しない。

・その時の土砂が南海トラフに運ばれて、
付加体の四万十帯南帯となるが、
かなりの量が海溝からマントルへ運ばれ失われた。
「構造侵食」の一つの形態といえる。

「日本海の拡大と構造線」より
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/119/6/119_6_1079/_pdf
P.1105の図10 「日本海拡大期の前弧域での短縮」

図10
「構造侵食」について

・「構造侵食」とは海洋プレートが沈み込みながら、
海溝堆積物や大陸地殻の底部を少しづつ削り取り、
マントルまで運び込んでしまうことである。

約1億年をかけて、海溝部から火山フロントすべてを侵食する。
ある年代の付加体が存在しないことなどから、
過去に大規模な構造侵食が複数回あったと考えられる。

・古中央構造線の場合は、三波川変成帯の上面が衝上断層面になって、
北側の地殻が上昇し、その間約150~200㎞が侵食されたことにより、
地殻の短縮が起きたと考えられる。
本来は別々の場所にあるべき火山フロントの領家変成帯と、
地下の深部で変成した三波川変成帯が直接接っするという現在の構造になった。


「新中央構造線」

・第四紀の250万年前から、
フィリピン海プレートの斜め沈み込みにより、
西南日本の太平洋側に「前弧スリバー」が形成された。
高角度の右横ずれ断層が活動した。
変異量は約2~3km。

これが紀伊半島から四国にかけての直線状の断層帯で、「新中央構造線」である。

・「新中央構造線」は活断層としての意味はあるが、
変位量の少ない若い断層で、
日本列島の地帯構造を画するようなものではない。


「内帯と外帯」

・以上から「内帯と外帯」の区別は1500万年前以降から言える区別であるに過ぎない。

・外帯の「秩父帯」は、
内帯の「美濃-丹波帯」と形成年代が同じ時期の付加体である。

・黒瀬川帯は秩父帯の上位で、
秩父帯の中に残された「クリッペ」として存在する。
つまり黒瀬川帯は地殻深部に届くような高角度の断層で区切られたものではない。

・黒瀬川帯の蛇紋岩メランジュは、過去の和達・ベニオフ面の痕跡である。

蛇紋岩が地殻深部からベニオフ面を上昇しながら、
沈み込んでくる各地層から断片を採集したため、
現在の蛇紋岩メランジュの構造が見られる。


2.平朝彦著「日本列島の誕生」岩波新書から中央構造線の形成過程を知る

・イザナギプレートの北上運動により、アジア大陸東縁の海中に出来た付加体に左横ずれ断層ができる=中央構造線の原型

・和泉層群の堆積した和泉海盆も、この左横ずれ断層により大陸地殻にプルアパート構造の堆積盆地が形成された


・この断層は地殻の深部にまでおよび、黒瀬川構造体に見られる大陸の南方の一部を巻き込んで、地殻の短縮を起こしたと考える

・沿海州まで延長していると考えられる大断層である

第2図 日本海拡大前の復元案
http://www.sci.u-toyama.ac.jp/earth/staff_personal_old/geol_so.html

・日本列島の内帯と外帯で同じ年代の地質帯が重複しているのはこの断層により形成された



(1)と(2)の大きな違いとしては、

・日本列島形成史では活動時期が違う「古」と「新」の中央構造線を立て分ける

・また、黒瀬川構造体が秩父帯の上に乗っかっているクリッペであることを地下構造から解明している

・領家帯と三波川帯の間の約150~200kmの地殻が失われたのは、構造浸食という新しい概念で説明する

・和泉層群の堆積した和泉海盆は、クラプレートと太平洋プレートを分ける中央海嶺の沈み込みにより、四万十変成帯が地下で上昇したことにより形成された前弧海盆と考える、
など





3.日本海の拡大(2000万~1500万年前の間)

「日本海の拡大と構造線」より
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/119/6/119_6_1079/_pdf
P.1101の図8 「2000万~1500万年前の古地理」

2000万〜1500・従来の「観音開き拡大説」は誤りである
なぜならば、大陸地殻が回転すれば回転軸(対馬付近)の反対側では地殻の短縮(隆起)が起きるが、その痕跡が南シナ海に存在しない

・主な拡大軸は現在の日本海盆と大和海盆の中央海嶺である

・「JET」は日本海拡大時の東縁断層で
「棚倉構造線」の原型である。

・「JWT」は西縁断層で、九州西端部の予測断層(未確認)である。
韓半島の東側には「ヤンサン-ウルサン断層」がある。

共にトランスフォーム断層で、
この間の大陸地殻が中央海嶺やリフトの拡大で、
ほぼ南方に押し出された。

・大陸地殻は31個のマイクロプレート(小さな地塊)になり、日本海や日本列島にちらばった。
最大が西南日本、次が東北日本である

・日本海の拡大は大陸地殻が引き伸ばされた
=正断層の形成と浮力の低下
=日本列島の地殻の水没
=太平洋プレートの沈み込みだけでは圧縮場にならなかった

・このときの中央海嶺のトランスフォーム断層の延長が
フォッサマグナの原型となる。
この断層がリフトの形成により拡大し、
西端の崖が糸魚川-静岡構造線
東端の崖が関東構造線(銚子-柏崎線や利根川構造線)であると考えられている。

・フォッサマグナの中には2つのトラフがあり、
深さは2000m~6000m以上の場所もある。

・日本海側の佐渡・新潟や関東平野もリフトが形成され、
関東平野では1650万~1500万年前の間に、
最大5000m沈降しその後停止した。


・フォッサマグナから東は、ほぼ海面下となる。
その後の火山フロントの活動で堆積と隆起がはじまる

・しかし、西日本には1500万年前から拡大直後の若くて浅い四国海盆が沈み込んだため、圧縮場となり、かろうじて水没をまぬがれた

・1500万~600万年前の間に、
フォッサマグナに初期の伊豆-小笠原弧の巨摩、御坂、丹沢海嶺などが多重衝突して沈み込んだ。
薄くなった地殻を圧縮・変形し、表層の火山岩の一部が付加した。
そのため古中央構造線は直線から、現在のハの字型に変形して来た。

・約100万年前から地殻の厚い伊豆火山島の
衝突により赤石山脈(四万十帯)などを隆起させ、
富士山、箱根火山、八ヶ岳などの噴火がはじまった。



4.並走する「対の変成帯」は、いつごろどこで変成したのか

「太平洋型造山帯について」 のブログでまとめたものがあります。

また、大鹿村中央構造線博物館のサイトでわかりやすく解説されています。

対の変成帯
https://mtl-muse.com/mtl/aboutmtl/metabeltpair/

・領家帯は三波川変成帯と隣り合わせである。

・領家帯とは、
白亜紀の火山フロントに貫入した花崗岩(マグマ)と、
その花崗岩に接触して
高温低圧型の変成作用を受けた領域をさす。
主に付加体の美濃・丹波帯や秋吉帯が変成した。

・三波川変成帯とは、
海溝から沈み込んだ付加体が地下約60~50kmの深部で変成した、低温高圧型の広域変成帯。結晶片岩など。

中央海嶺が近づいて来ると海底の水深が浅くなるので、地下深部の変成帯が地下約10kmまで上昇し、
その後の付加体の「底付け」により高角正断層をともない
ドーム状に隆起する。

・深度も水平距離も違う場所で形成された変成帯が、
なぜ隣り合わせになったのかは、2.の形成過程のとおりである。



5.和泉層群の堆積と隆起

「和泉層群」徳島県立博物館
http://www.museum.tokushima-ec.ed.jp/bb/chigaku/fossils/Izumi.html

・和泉層群が形成された過程は?
「プルアパート盆地形成で和泉海盆ができた」と考えられていたが、

四万十変成帯(年代測定により三波川変成帯と分離)の隆起により、
非火山性の前弧隆起の発達により形成された
前弧海盆(和泉海盆)に堆積したものである。

・堆積物は?
白亜紀に火山フロントであった中国山地より、火砕流や乱泥流が流れ込んだ

砂岩・泥岩互層がよく見られる。泥岩には炭が含まれ黒色である。プラビトセラスのような非常に珍しい異常巻きアンモナイトの化石が出る

・古四国山地(三波川帯の上部)の隆起が先である
泉海盆の形成時にはすでに隆起していた
=四万十帯の大量の付加体の沈み込みによる「底づけ」で隆起。


・和泉層群が隆起した阿讃山脈は東西に平行する正断層による地塁山地である

・地下深部から上昇、隆起すると、表面には正断層ができる

・隆起したのはいつごろか?
吉野川は阿讃山脈の隆起量が大きかったのか、それとも流量が少なかったのか、現在は平行谷になった

「阿波学会研究紀要」より
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/34/3412.html
「吉野川平野の古期扇状地礫層の年代は、
130万年、100万年、45万年という値が出ている」
古期扇状地礫層は現在の舌状尾根の上部などにもある


・「阿讃山地の隆起過程」植木岳雪ほか より

香川側(北側)の長尾断層が逆断層として何回か動いて、和泉側が隆起した。その後は停止。

その後、南側の新中央構造線が高角度の右横ずれ断層として動き和泉側が隆起した。一部で衝上している。



6.なぜ中央構造線の断層帯にマグマの貫入がなかったのか?

・前述の日本海拡大時に、四国海盆の沈み込みによる火成活動がおきた

四国海盆は「古伊豆小笠原弧」が「九州・パラオ弧」と「伊豆・小笠原弧」に分裂拡大してできた
中央海山列の「紀南海山列」では、火山活動が起きていた

そこへ西日本が移動してきて、四国海盆が沈み込んだ
そのため広域的な異常な火成活動が起きた

・この時に火成活動を起こした地域とは?
屋久島から大隈半島などの九州南部と足摺岬、室戸岬。
かつて瀬戸内火山帯と言われた石鎚山から屋島、小豆島、近畿の二上山や室生など。
紀伊半島南部の花崗岩、設楽の玄武岩など

・香川側の断層にはマグマが貫入した
前述の安山岩である
現在は上部の安山岩を残した特徴的なメサの屋島や五色台、
ビュートの讃岐富士の飯野山 などが見られる
http://ja.wikipedia.org/wiki/メサ

・和泉層群の下にも存在しているのでは?

・道後温泉、庵治温泉は化石火山によるものか?


7.周辺の山地の形成過程との関係は

・四国山地の石鎚山などに準平原面が存在する

・約100万年前からの隆起であるが、日本列島の山脈のほとんどがこの時期から隆起している。ニュージーランド南島も。

また、アルプス、ヒマラヤ造山帯もこの時期からの隆起量が最大となっている。

・東アジア一帯でさまざまな規模で地殻が割れて拡大している現象が現在も進行している。
バイカル地溝帯、山西地溝帯など。
インド亜大陸の衝突・押し込みによるのか。

その影響で日本海の海底が日本列島の方向に動いてきている。日本海側に新生海溝が形成されつつある。
それにより日本列島は圧縮場になり逆断層が形成され隆起している


8.地質断層と現在の活断層の位置関係は

・現在見られる地質の断層と活断層は同じ位置ではない。北側の阿讃山脈の山麓付近に活断層帯がある

・現在の活断層は、現在のプレートの動きにより形成された 
フィリピン海プレートの沈み込む角度が斜めに変化したことで、「前弧スリバー」が形成された。

・地質の断層(境界)が露頭している場所は限られている

平野部では、地質の断層は地下に埋もれている
 「徳島平野の地下等深度図」
http://www.skr.mlit.go.jp/tokushima/river/event/yoshikouza/no05/text05-1-2.pdf



9.現在の三県の直線構造はどのように形成されたのか

・現在の阿讃山脈南麓の一部の舌状尾根の先端に破砕粘土帯がある。
最大幅500m
しかし、ほとんどは侵食されて現在は礫層の下である

これが現在の新中央構造線の断層帯に入る

・三波川帯の破砕粘土の痕跡もあるが、ほとんどは侵食されたと思われる
そのために直線状になったのか?

・この破砕帯はいつごろ形成されたのか?
「阿波学会研究紀要」より

「破砕帯を古期扇状地礫層が不整合に覆っており、礫層はほとんど変位を受けていない(図8)。このことは、阿讃山脈の和泉層群が中央構造線の断層運動による著しい破砕を受けた後、古期扇状地礫層が堆積したことを物語っている。」
「吉野川平野の古期扇状地礫層の年代は、
 130万年、100万年、45万年」

となると、日本海拡大の地殻短縮のときの破砕帯なのか、
それとも和泉層群が隆起したときに形成された破砕帯なのか?

隆起以後は活断層帯としてはほとんど動いていないことになる? 
(これは場所によって異なるでしょう。また未発見の可能性もあります)

・以上から地塁山地の東西の正断層の崖と破砕粘土帯の侵食による直線構造と言えるのではないか

・石鎚断層の断層崖
四国山地の第四紀(約180万年前とします)以降の隆起量が
約1000mである

現在の石鎚山は2000m 級の山だから、もともと1000m程度の標高があったことになるのか
そうすると地震の間隔が約千年とすると、1回での隆起量は、
約55cmになる。

愛媛県での調査では過去3回分の地震での横方向の変位は確認できても、
上下の変位はほとんど確認されていない。
「愛媛県の活断層調査」
http://www.jishin.go.jp/main/koufu/01/ehime/ehime.htm

おそらく過去に大きく変動した時期があったのであろう。


10.どのぐらいの間隔でどこが動くのか

・四国の直近はおそらく1596年の慶長伊予地震のころ
http://ja.wikipedia.org/wiki/慶長伊予地震

・和歌山の直近はおそらく600年代~800年代?

地震調査研究推進本部のサイトより

「和泉山脈南縁の奈良県五條市から和歌山市付近に至る区間では、7世紀以後、9世紀以前に最新活動があったと推定」

・次はいつ頃になるのか?
日本地質学会のサイトより
http://www.geosociety.jp/faq/content0091.html

「長期評価鳴門南断層から石鎚断層に至る区間の平均活

動間隔は約1,000~1,600年,最新の活動以後の経過時間

は約400~500年である」


地震調査研究推進本部のサイトより

「和泉山脈南縁の奈良県五條市から和歌山市付近に至る

区間では、・・・平均的な活動間隔は、約1千1百-2千3百

年であった可能性があります」

 
・現在の活断層は?

地震調査研究推進本部のサイトより
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/katsudanso/f081_083_085_086_089_chuo.htm

これを見れば、現在の活断層は細かく分類されている


・なお、現在の和歌山での微小地震は地下深部のものであり、
中央構造線の活断層ではないそうです。
 
しかし、もし和歌山で活断層が動いた場合には、
大阪方面の被害の方が多きくなるであろうと推測されています。

「地震調査研究推進本部」の和歌山県のページ
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kinki/p30_wakayama.htm

和歌山県 活断層の長期評価
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/katudansou/wakayama.htm



11.今後に思うこと

我が家は中央構造線の破砕帯(活断層帯)をおおう扇状地の上にあります。

大きな震災を何度も経験してきている日本ですが、
いまだ地震予測は困難な状況にあるようです。

中央構造線の断層が動くと4~8mの右横ずれ、
つまり断層の南側が西に動きます。

上下のずれも発生するでしょう。

もし直撃を受ければ濃尾地震のように、
史上最大級といわれる直下型地震になるはずです。

wikiの「濃尾地震」
http://ja.wikipedia.org/wiki/濃尾地震

できるだけ近い将来に、地震予測が可能になることを切望いたします。

また地震予測を可能にすることが地震大国日本の使命であり、

多くの犠牲者に対する責務のひとつであると思います。

いずれにしても、お互いに地震対策を忘れないように心がけましょう。




12.九州には中央構造線はない

2016年4月の熊本地震で、よく聞いたのが中央構造線が動いたので東側の四国や紀伊半島でも中央構造線が動く可能性がある、というものです。

ところが産総研地質総合調査センターでは、すでに2016年5月13日作成のこのような論文が出されていました。

「中央構造線に関する現在の知見ー九州には中央構造線はないー」
https://www.gsj.jp/hazards/earthquake/kumamoto2016/kumamoto20160513-2.html


古中央構造線の特徴的な地質境界の領家帯と三波川帯が、北九州に存在するがほとんどの地域で不明瞭になっていること。

新中央構造線のような横ずれ断層帯が九州には存在しないこと。

九州は別府-島原地溝帯に代表されるような正断層が発達し、沖縄トラフから続く背弧拡大の影響を受けていること。

興味のある方はぜひ読んでみてください。


 以上、 お読みくださりありがとうございました。
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