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太平洋型造山帯について [地質学]

1.太平洋型造山帯での新たな知見

日本列島は太平洋型造山帯として、
約5億2千万年が経過しています。
そして現在の日本は、最新の手法で地下構造や基盤岩の年代測定など、最も調査・研究が進んでいる地域になります。

その結果、この日本列島の形成史を書き換えるようなことが、新たな知見として提示されています。
ここでは、造山運動に関することに絞って述べます。


2.海溝での「構造侵食」作用とは

海溝では付加体が形成され陸の地殻が一方的に増えていくと考えられていました。
しかし、現在の日本海溝や千島海溝では、
わずかな付加体しか観測されません。

それどころか襟裳沖、室戸沖などでは、海山の沈み込みで陸側の地殻がえぐり取られ、馬蹄形に陥没している様子が観測されています。
また仙台沖の日本海溝では、
海溝軸から数十km陸側の掘削コアでは、
付加体がほとんどなく、
花崗岩地殻がむき出しになっているのが観察されています。

このようなことから、海溝では構造的に陸地殻が海洋プレートによって侵食されているのではないか、
と言われるようになりました。

地球上の海溝をそのような視点で見てみると、
ほぼ3/4の海溝では付加体が成長せず、
構造侵食が進んでいるという観測結果になりました。

なお現在、付加体が成長している南海トラフでも、
沈み込むフィリピン海プレートの上部数kmは、
海溝堆積物であるといえます。

つまり付加体が形成されながらも、
常時、構造侵食は進行しているのです。

また西南日本の地下構造を観測して見ると、
南側半分の付加体(下図の黄色以下)は、
地下のプレート境界まで、
8千万年前以降に形成された若い地殻で構成されていることが分って来ました。

また山陰帯の花崗岩(下図の濃いピンク)も8千~6千万年前の間に形成されたもので、それより古い地層はその上部に残された程度にしか存在しません。

山陽帯、領家帯の花崗岩も白亜紀のものです。

これが果たして5億2千万年分の地殻なのでしょうか。
とても考えられない少なさなのです。

西南日本断面
 以上から太平洋型造山帯とは、
付加体で地殻が成長する時期もあるが、
構造侵食で地殻が激減する時期もある、
というダイナミックな造山帯であるということが分ってきました。

なお構造侵食があったことの痕跡として、
黒瀬川帯や長門-蓮華帯などの「蛇紋岩メランジュ」があります。
蛇紋岩が地下深部からプレート境界の「和達・ベニオフ面」を上昇して来るときに、
侵食された各岩石体のかけらを採集するように取り込みながら上昇して来たようなのです。

この蛇紋岩メランジュに過去の地質体が無秩序に存在することが、構造侵食があったという証拠と考えられています。

3.太平洋型造山帯での造山運動

・平常時の造山運動

平常時には、
ある時には付加体が形成され、
火山フロントでは火成岩の地殻が形成されます。

さらに構造侵食で、
付加体から火山フロントを丸ごとふくんだ地殻を、
約1億年かけてマントルに運んでしまう時期もあります。

つまり海溝が海側に行ったり、陸側に来たりするのです。
その時に火山フロントの位置も前後に変化します。


・極大期の造山運動

太平洋型造山帯におけるクライマックスの造山運動は、
中央海嶺が海溝に沈み込んで来た時に起きます。

前掲論文のP.122 図2
中央海嶺の沈み込み
1)まず大量の「付加体」が、
沈み込んで行きます。

2)その付加体が地下で低温高圧の変成作用を受けて
「広域変成帯」となり、地下約10Kmまで隆起します。
 図の a)

3)火山フロントでは中央海嶺からの大量のマグマや融けたスラブでTTGベルト(花崗岩質の地殻)が形成され地殻が増えます。
のちに隆起すると「花崗岩バソリス」となります。
 図b)①

これは衝突型にはない、
「大陸地殻を増大させる」という、太平洋型の大きな特徴です。

4)変成帯の隆起で前弧海盆が形成され、
「前弧海盆堆積体」が形成されます。 図b)②

5)火山フロントや前弧の隆起からの土砂が大量に海溝に流れ込み、「付加体」が成長します。

6)付加体の「底付け」により、広域変成帯が正断層をともなうドーム状の隆起をします。 図b)③

以上のように、1回の中央海嶺の沈み込みで、
「付加体」
「広域変成帯」
「花崗岩バソリス帯」
「前弧海盆堆積体」
の四つが一つのセット(単元)として形成されます。


6.一単元の詳しい形成過程

①プレートの沈み込みに伴い付加体が成長します。

②たまに、1億年に1回ぐらい中央海嶺が近づいて来ると、沈み込みの角度が小さくなり、摩擦が大きくなることで、構造侵食が激しくなり、
大量の付加体が沈み込みます。

③その付加体が地下50~60Kmで「低温高圧」の広域変成を受けます。

④さらに中央海嶺の高まりそのものが沈み込んで来ることで、
変成帯は厚さ2km以下の板状で、
楔が搾り出されるように、地下10~15Kmほどの深さまで上昇してきます。

変成帯の上部は正断層、下部は逆断層になります。

⑤この上昇で、海溝と陸地の中央部を盛り上げて、
非火山性の前弧が隆起します。
この隆起の発達に応じて前弧海盆では堆積体ができます。

⑥海上まで隆起した前弧や火山フロントからの
大量の土石物が海溝に運ばれ、
付加体が急成長します。
その付加体が変成帯の下部に「底付け」され、
広域変成帯とその上下の地殻が、
じょじょに径100kmぐらいの方形ドーム状に正断層をともなう隆起をします。

⑦沈み込んだ海嶺と溶融したスラブから、
大量のマグマが供給されて、TTGが形成されます。
火山フロントではやがて花崗岩バソリス帯ができます。
巾200~300km長さ1000kmほどの規模があります。

・南米チリのタイタオ半島では、中央海嶺が沈み込んでいます。約500万年前に沈み込んだ場所は、現在の地表は花崗岩バソリスとなっています。
http://www.bing.com/search?q=チリ タイタオ半島&qs=n&form=QBRE&pq=チリ タイタオ半島&sc=0-0&sp=-1&sk=


5.変成岩の特徴は

普通の岩石が低温かつ高圧の環境下で再結晶したものです。
薄片を重ねたように平行に配列し縞模様になります。
薄くはがれやすい片理構造で「結晶片岩」といいます。

元の石により、各種の結晶片岩ができます。
砂質片岩、泥質片岩、緑色片岩,珪質片岩、大理石など。

6.各変成帯について

・三波川変成帯は、
イザナギプレートとクラプレートの中央海嶺の沈み込みに対応します。
白亜紀最前期の付加体の三宝山帯が地下で変成しました。
変成のピークは1億2千~1億1千万年前の間。
対応する花崗岩帯は、
領家帯および山陽帯の花崗岩。
前弧海盆堆積体は侵食作用でなくなったそうです。

・四万十変成帯は一番新しく
クラプレートと太平洋プレートの中央海嶺の沈み込みに対応します。
白亜紀中期の付加体の四万十帯北帯が地下で変成。
変成のピークは、7千~6千万年前。
対応する花崗岩帯は、
山陰帯の花崗岩。
前弧海盆堆積体は和泉層群です。
・周防変成帯

・長門-蓮華帯や黒瀬川帯の蛇紋岩メランジュに含まれる変成岩

など、現在の日本列島では、5~6つの変成帯があったことが確認されています。
つまり5~6回の中央海嶺の沈み込みが過去にあったことになります。


7.現在の日本でのステージ


現在、広域変成帯が隆起しているのは紀伊半島南部や、
四国中部です。

特に大和大峯山地の地域はドーム状の大隆起地帯です。
また、南紀白浜地域から観察される、この6千年間の上昇速度は年2~3mmで、
これは衝突型造山帯である
ヒマラヤや台湾などと同じレベルです。
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中央構造線について [地質学]

中央構造線に関しては、たくさんのサイトで詳しく取り上げられています。
おすすめは「大鹿村中央構造線博物館」のサイトです。
http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/index.htm
 
ですので、ここでは私がこの「中央構造線」をどのように理解して来たのかを書くことにします。

 私の理解したところに間違いや疑問がありましたら、ぜひアドバイスをよろしくお願い致します。

2012年 6月より追加編集をいたします。
「中央構造線の形成過程を知る」の項目に、

2010年に「地学雑誌」の特集「日本列島形成史と次世代パラダイム」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/119/2/119_2_187/_pdf

の中の論文のひとつである
「日本列島の地体構造区分再訪」
http://ea.c.u-tokyo.ac.jp/earth/Members/Isozaki_JG/10Isozaki.pdf

で、新たな中央構造線の形成過程が示されています。
最近の研究に基づく内容ですので、
これからは、この「日本列島形成史」が主流となるでしょう。

しばらくの間は、「2.形成過程」の考え方を併記することにいたします。


2017年5月に「12.九州に中央構造線はない」を追加しました。





1.衛星写真などで中央構造線を見る

・和歌山から徳島、愛媛にかけての直線はとても目に付く
・直線なのは新しい時代に出来たからである。

・断層崖と破砕帯の侵食により形成された



2.最新の「日本列島形成史」から中央構造線の形成過程を知る

・中央構造線を「白亜紀から続く、大規模な横ずれ断層である」と見るのは間違いである。
なので棚倉構造線とは、つながっていたことはない。

・現在は基盤岩の年代や、地殻深部の三次元形態が
判明した。

「日本列島の地体構造区分再訪」のP.1017の図4B
「西南日本の地殻断面」を参照してください。
西南日本の地殻断面

「古中央構造線」

・それは三波川帯が低角度(ほぼ水平)で大陸側(北側)に傾斜する「低角度衝上断層」である。
これを「古中央構造線」と呼ぶ。現在一部地域の地上で見られる「地質境界の中央構造線」はこれが隆起したものである

・この断層(古中央構造線)が動いたのは、日本海拡大の時で、
第三紀の約2000万年前~1500万年前の間である。
なお、「内帯と外帯」の区分はこの時から言えることである

・このときに領家帯の南翼と和泉層群の南半を含む
約150~200kmの地帯が、
三波川帯の上面の「古中央構造線」を衝上断層として隆起し山となり、現在は侵食されてほとんど存在しない。

・その時の土砂が南海トラフに運ばれて、
付加体の四万十帯南帯となるが、
かなりの量が海溝からマントルへ運ばれ失われた。
「構造侵食」の一つの形態といえる。

「日本海の拡大と構造線」より
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/119/6/119_6_1079/_pdf
P.1105の図10 「日本海拡大期の前弧域での短縮」

図10
「構造侵食」について

・「構造侵食」とは海洋プレートが沈み込みながら、
海溝堆積物や大陸地殻の底部を少しづつ削り取り、
マントルまで運び込んでしまうことである。

約1億年をかけて、海溝部から火山フロントすべてを侵食する。
ある年代の付加体が存在しないことなどから、
過去に大規模な構造侵食が複数回あったと考えられる。

・古中央構造線の場合は、三波川変成帯の上面が衝上断層面になって、
北側の地殻が上昇し、その間約150~200㎞が侵食されたことにより、
地殻の短縮が起きたと考えられる。
本来は別々の場所にあるべき火山フロントの領家変成帯と、
地下の深部で変成した三波川変成帯が直接接っするという現在の構造になった。


「新中央構造線」

・第四紀の250万年前から、
フィリピン海プレートの斜め沈み込みにより、
西南日本の太平洋側に「前弧スリバー」が形成された。
高角度の右横ずれ断層が活動した。
変異量は約2~3km。

これが紀伊半島から四国にかけての直線状の断層帯で、「新中央構造線」である。

・「新中央構造線」は活断層としての意味はあるが、
変位量の少ない若い断層で、
日本列島の地帯構造を画するようなものではない。


「内帯と外帯」

・以上から「内帯と外帯」の区別は1500万年前以降から言える区別であるに過ぎない。

・外帯の「秩父帯」は、
内帯の「美濃-丹波帯」と形成年代が同じ時期の付加体である。

・黒瀬川帯は秩父帯の上位で、
秩父帯の中に残された「クリッペ」として存在する。
つまり黒瀬川帯は地殻深部に届くような高角度の断層で区切られたものではない。

・黒瀬川帯の蛇紋岩メランジュは、過去の和達・ベニオフ面の痕跡である。

蛇紋岩が地殻深部からベニオフ面を上昇しながら、
沈み込んでくる各地層から断片を採集したため、
現在の蛇紋岩メランジュの構造が見られる。


2.平朝彦著「日本列島の誕生」岩波新書から中央構造線の形成過程を知る

・イザナギプレートの北上運動により、アジア大陸東縁の海中に出来た付加体に左横ずれ断層ができる=中央構造線の原型

・和泉層群の堆積した和泉海盆も、この左横ずれ断層により大陸地殻にプルアパート構造の堆積盆地が形成された


・この断層は地殻の深部にまでおよび、黒瀬川構造体に見られる大陸の南方の一部を巻き込んで、地殻の短縮を起こしたと考える

・沿海州まで延長していると考えられる大断層である

第2図 日本海拡大前の復元案
http://www.sci.u-toyama.ac.jp/earth/staff_personal_old/geol_so.html

・日本列島の内帯と外帯で同じ年代の地質帯が重複しているのはこの断層により形成された



(1)と(2)の大きな違いとしては、

・日本列島形成史では活動時期が違う「古」と「新」の中央構造線を立て分ける

・また、黒瀬川構造体が秩父帯の上に乗っかっているクリッペであることを地下構造から解明している

・領家帯と三波川帯の間の約150~200kmの地殻が失われたのは、構造浸食という新しい概念で説明する

・和泉層群の堆積した和泉海盆は、クラプレートと太平洋プレートを分ける中央海嶺の沈み込みにより、四万十変成帯が地下で上昇したことにより形成された前弧海盆と考える、
など





3.日本海の拡大(2000万~1500万年前の間)

「日本海の拡大と構造線」より
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/119/6/119_6_1079/_pdf
P.1101の図8 「2000万~1500万年前の古地理」

2000万〜1500・従来の「観音開き拡大説」は誤りである
なぜならば、大陸地殻が回転すれば回転軸(対馬付近)の反対側では地殻の短縮(隆起)が起きるが、その痕跡が南シナ海に存在しない

・主な拡大軸は現在の日本海盆と大和海盆の中央海嶺である

・「JET」は日本海拡大時の東縁断層で
「棚倉構造線」の原型である。

・「JWT」は西縁断層で、九州西端部の予測断層(未確認)である。
韓半島の東側には「ヤンサン-ウルサン断層」がある。

共にトランスフォーム断層で、
この間の大陸地殻が中央海嶺やリフトの拡大で、
ほぼ南方に押し出された。

・大陸地殻は31個のマイクロプレート(小さな地塊)になり、日本海や日本列島にちらばった。
最大が西南日本、次が東北日本である

・日本海の拡大は大陸地殻が引き伸ばされた
=正断層の形成と浮力の低下
=日本列島の地殻の水没
=太平洋プレートの沈み込みだけでは圧縮場にならなかった

・このときの中央海嶺のトランスフォーム断層の延長が
フォッサマグナの原型となる。
この断層がリフトの形成により拡大し、
西端の崖が糸魚川-静岡構造線
東端の崖が関東構造線(銚子-柏崎線や利根川構造線)であると考えられている。

・フォッサマグナの中には2つのトラフがあり、
深さは2000m~6000m以上の場所もある。

・日本海側の佐渡・新潟や関東平野もリフトが形成され、
関東平野では1650万~1500万年前の間に、
最大5000m沈降しその後停止した。


・フォッサマグナから東は、ほぼ海面下となる。
その後の火山フロントの活動で堆積と隆起がはじまる

・しかし、西日本には1500万年前から拡大直後の若くて浅い四国海盆が沈み込んだため、圧縮場となり、かろうじて水没をまぬがれた

・1500万~600万年前の間に、
フォッサマグナに初期の伊豆-小笠原弧の巨摩、御坂、丹沢海嶺などが多重衝突して沈み込んだ。
薄くなった地殻を圧縮・変形し、表層の火山岩の一部が付加した。
そのため古中央構造線は直線から、現在のハの字型に変形して来た。

・約100万年前から地殻の厚い伊豆火山島の
衝突により赤石山脈(四万十帯)などを隆起させ、
富士山、箱根火山、八ヶ岳などの噴火がはじまった。



4.並走する「対の変成帯」は、いつごろどこで変成したのか

「太平洋型造山帯について」 のブログでまとめたものがあります。

また、大鹿村中央構造線博物館のサイトでわかりやすく解説されています。

対の変成帯
https://mtl-muse.com/mtl/aboutmtl/metabeltpair/

・領家帯は三波川変成帯と隣り合わせである。

・領家帯とは、
白亜紀の火山フロントに貫入した花崗岩(マグマ)と、
その花崗岩に接触して
高温低圧型の変成作用を受けた領域をさす。
主に付加体の美濃・丹波帯や秋吉帯が変成した。

・三波川変成帯とは、
海溝から沈み込んだ付加体が地下約60~50kmの深部で変成した、低温高圧型の広域変成帯。結晶片岩など。

中央海嶺が近づいて来ると海底の水深が浅くなるので、地下深部の変成帯が地下約10kmまで上昇し、
その後の付加体の「底付け」により高角正断層をともない
ドーム状に隆起する。

・深度も水平距離も違う場所で形成された変成帯が、
なぜ隣り合わせになったのかは、2.の形成過程のとおりである。



5.和泉層群の堆積と隆起

「和泉層群」徳島県立博物館
http://www.museum.tokushima-ec.ed.jp/bb/chigaku/fossils/Izumi.html

・和泉層群が形成された過程は?
「プルアパート盆地形成で和泉海盆ができた」と考えられていたが、

四万十変成帯(年代測定により三波川変成帯と分離)の隆起により、
非火山性の前弧隆起の発達により形成された
前弧海盆(和泉海盆)に堆積したものである。

・堆積物は?
白亜紀に火山フロントであった中国山地より、火砕流や乱泥流が流れ込んだ

砂岩・泥岩互層がよく見られる。泥岩には炭が含まれ黒色である。プラビトセラスのような非常に珍しい異常巻きアンモナイトの化石が出る

・古四国山地(三波川帯の上部)の隆起が先である
泉海盆の形成時にはすでに隆起していた
=四万十帯の大量の付加体の沈み込みによる「底づけ」で隆起。


・和泉層群が隆起した阿讃山脈は東西に平行する正断層による地塁山地である

・地下深部から上昇、隆起すると、表面には正断層ができる

・隆起したのはいつごろか?
吉野川は阿讃山脈の隆起量が大きかったのか、それとも流量が少なかったのか、現在は平行谷になった

「阿波学会研究紀要」より
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/34/3412.html
「吉野川平野の古期扇状地礫層の年代は、
130万年、100万年、45万年という値が出ている」
古期扇状地礫層は現在の舌状尾根の上部などにもある


・「阿讃山地の隆起過程」植木岳雪ほか より

香川側(北側)の長尾断層が逆断層として何回か動いて、和泉側が隆起した。その後は停止。

その後、南側の新中央構造線が高角度の右横ずれ断層として動き和泉側が隆起した。一部で衝上している。



6.なぜ中央構造線の断層帯にマグマの貫入がなかったのか?

・前述の日本海拡大時に、四国海盆の沈み込みによる火成活動がおきた

四国海盆は「古伊豆小笠原弧」が「九州・パラオ弧」と「伊豆・小笠原弧」に分裂拡大してできた
中央海山列の「紀南海山列」では、火山活動が起きていた

そこへ西日本が移動してきて、四国海盆が沈み込んだ
そのため広域的な異常な火成活動が起きた

・この時に火成活動を起こした地域とは?
屋久島から大隈半島などの九州南部と足摺岬、室戸岬。
かつて瀬戸内火山帯と言われた石鎚山から屋島、小豆島、近畿の二上山や室生など。
紀伊半島南部の花崗岩、設楽の玄武岩など

・香川側の断層にはマグマが貫入した
前述の安山岩である
現在は上部の安山岩を残した特徴的なメサの屋島や五色台、
ビュートの讃岐富士の飯野山 などが見られる
http://ja.wikipedia.org/wiki/メサ

・和泉層群の下にも存在しているのでは?

・道後温泉、庵治温泉は化石火山によるものか?


7.周辺の山地の形成過程との関係は

・四国山地の石鎚山などに準平原面が存在する

・約100万年前からの隆起であるが、日本列島の山脈のほとんどがこの時期から隆起している。ニュージーランド南島も。

また、アルプス、ヒマラヤ造山帯もこの時期からの隆起量が最大となっている。

・東アジア一帯でさまざまな規模で地殻が割れて拡大している現象が現在も進行している。
バイカル地溝帯、山西地溝帯など。
インド亜大陸の衝突・押し込みによるのか。

その影響で日本海の海底が日本列島の方向に動いてきている。日本海側に新生海溝が形成されつつある。
それにより日本列島は圧縮場になり逆断層が形成され隆起している


8.地質断層と現在の活断層の位置関係は

・現在見られる地質の断層と活断層は同じ位置ではない。北側の阿讃山脈の山麓付近に活断層帯がある

・現在の活断層は、現在のプレートの動きにより形成された 
フィリピン海プレートの沈み込む角度が斜めに変化したことで、「前弧スリバー」が形成された。

・地質の断層(境界)が露頭している場所は限られている

平野部では、地質の断層は地下に埋もれている
 「徳島平野の地下等深度図」
http://www.skr.mlit.go.jp/tokushima/river/event/yoshikouza/no05/text05-1-2.pdf



9.現在の三県の直線構造はどのように形成されたのか

・現在の阿讃山脈南麓の一部の舌状尾根の先端に破砕粘土帯がある。
最大幅500m
しかし、ほとんどは侵食されて現在は礫層の下である

これが現在の新中央構造線の断層帯に入る

・三波川帯の破砕粘土の痕跡もあるが、ほとんどは侵食されたと思われる
そのために直線状になったのか?

・この破砕帯はいつごろ形成されたのか?
「阿波学会研究紀要」より

「破砕帯を古期扇状地礫層が不整合に覆っており、礫層はほとんど変位を受けていない(図8)。このことは、阿讃山脈の和泉層群が中央構造線の断層運動による著しい破砕を受けた後、古期扇状地礫層が堆積したことを物語っている。」
「吉野川平野の古期扇状地礫層の年代は、
 130万年、100万年、45万年」

となると、日本海拡大の地殻短縮のときの破砕帯なのか、
それとも和泉層群が隆起したときに形成された破砕帯なのか?

隆起以後は活断層帯としてはほとんど動いていないことになる? 
(これは場所によって異なるでしょう。また未発見の可能性もあります)

・以上から地塁山地の東西の正断層の崖と破砕粘土帯の侵食による直線構造と言えるのではないか

・石鎚断層の断層崖
四国山地の第四紀(約180万年前とします)以降の隆起量が
約1000mである

現在の石鎚山は2000m 級の山だから、もともと1000m程度の標高があったことになるのか
そうすると地震の間隔が約千年とすると、1回での隆起量は、
約55cmになる。

愛媛県での調査では過去3回分の地震での横方向の変位は確認できても、
上下の変位はほとんど確認されていない。
「愛媛県の活断層調査」
http://www.jishin.go.jp/main/koufu/01/ehime/ehime.htm

おそらく過去に大きく変動した時期があったのであろう。


10.どのぐらいの間隔でどこが動くのか

・四国の直近はおそらく1596年の慶長伊予地震のころ
http://ja.wikipedia.org/wiki/慶長伊予地震

・和歌山の直近はおそらく600年代~800年代?

地震調査研究推進本部のサイトより

「和泉山脈南縁の奈良県五條市から和歌山市付近に至る区間では、7世紀以後、9世紀以前に最新活動があったと推定」

・次はいつ頃になるのか?
日本地質学会のサイトより
http://www.geosociety.jp/faq/content0091.html

「長期評価鳴門南断層から石鎚断層に至る区間の平均活

動間隔は約1,000~1,600年,最新の活動以後の経過時間

は約400~500年である」


地震調査研究推進本部のサイトより

「和泉山脈南縁の奈良県五條市から和歌山市付近に至る

区間では、・・・平均的な活動間隔は、約1千1百-2千3百

年であった可能性があります」

 
・現在の活断層は?

地震調査研究推進本部のサイトより
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/katsudanso/f081_083_085_086_089_chuo.htm

これを見れば、現在の活断層は細かく分類されている


・なお、現在の和歌山での微小地震は地下深部のものであり、
中央構造線の活断層ではないそうです。
 
しかし、もし和歌山で活断層が動いた場合には、
大阪方面の被害の方が多きくなるであろうと推測されています。

「地震調査研究推進本部」の和歌山県のページ
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kinki/p30_wakayama.htm

和歌山県 活断層の長期評価
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/katudansou/wakayama.htm



11.今後に思うこと

我が家は中央構造線の破砕帯(活断層帯)をおおう扇状地の上にあります。

大きな震災を何度も経験してきている日本ですが、
いまだ地震予測は困難な状況にあるようです。

中央構造線の断層が動くと4~8mの右横ずれ、
つまり断層の南側が西に動きます。

上下のずれも発生するでしょう。

もし直撃を受ければ濃尾地震のように、
史上最大級といわれる直下型地震になるはずです。

wikiの「濃尾地震」
http://ja.wikipedia.org/wiki/濃尾地震

できるだけ近い将来に、地震予測が可能になることを切望いたします。

また地震予測を可能にすることが地震大国日本の使命であり、

多くの犠牲者に対する責務のひとつであると思います。

いずれにしても、お互いに地震対策を忘れないように心がけましょう。




12.九州には中央構造線はない

2016年4月の熊本地震で、よく聞いたのが中央構造線が動いたので東側の四国や紀伊半島でも中央構造線が動く可能性がある、というものです。

ところが産総研地質総合調査センターでは、すでに2016年5月13日作成のこのような論文が出されていました。

「中央構造線に関する現在の知見ー九州には中央構造線はないー」
https://www.gsj.jp/hazards/earthquake/kumamoto2016/kumamoto20160513-2.html


古中央構造線の特徴的な地質境界の領家帯と三波川帯が、北九州に存在するがほとんどの地域で不明瞭になっていること。

新中央構造線のような横ずれ断層帯が九州には存在しないこと。

九州は別府-島原地溝帯に代表されるような正断層が発達し、沖縄トラフから続く背弧拡大の影響を受けていること。

興味のある方はぜひ読んでみてください。


 以上、 お読みくださりありがとうございました。
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「高校地理教科書の「造山帯」を改訂するための提案」を読んで [地質学]

「高校地理教科書の「造山帯」を改訂するための提案」が
 
 地理学者の岩田修二理学博士より発表されています。
 2013年5月の提出になっています。
 
論文の全文はこのファイルです。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ejgeo/8/1/8_153/_pdf
 
先日、検索中に偶然見かけて何度か読んでみました。
 
改訂の最大の目的は、
 
地理の地形の説明に地質学の用語が安易に使用されて、地理の学習者に無用の混乱を与えている状態を是正し、
地形はあくまでも平面形・高さ・傾斜で表すべきである、
というものです。
 
具体的には、
 
①世界の山岳地域の大地形の説明で、新期造山帯、古期造山帯の使用をやめる。 替わりに地形の指標でおこなう。
 
②造山帯に替えて変動帯の概念を新たに導入する。
 
③造山帯、安定地塊(楯状地・卓状地)は地質学の概念で  あり、地質構造で定義されていることを説明する。
 
④まず大学教員が改訂のために努力しなければならない。
 
  このノートでは、①~③について書いてみました。
 
 
1.「造山帯」に関して
 
・地質学での「造山帯」とは、
大陸を構成する単位で、岩石の種類の組み合わせから
「太平洋型」と「衝突型」の2種類に分類・定義されます。
 
「地質構造や地殻の形成過程」を概念として表している言葉になります。
この論文には書かれてないので簡単に説明します。
 
    「太平洋型造山帯」
 
 海溝から海洋プレートが沈み込むと、海溝にほぼ平行に火山フロントができて「島弧(陸弧)」が形成される。
 火山の火成活動で火山岩の堆積とマグマの貫入による深成岩と、マグマの熱で変成した「高温低圧型の変成岩」ができる。
 また海溝から付加体が地下深部に引きずり込まれて
「低温高圧型の変成岩」となる。これが「対の変成帯」となる。
 
 1億年に1度ぐらい海溝に海嶺が沈み込んでくると、海溝の傾斜がゆるくなることで、地下の低温高圧型変成岩が厚さ2Km以下の板状の「広域変成帯」として地下10Km付近まで楔型となり絞り出されるように上昇してくる。このときに「前弧海盆」ができる。
また地殻の下部には大量のTTG地殻(花崗岩の仲間)が形成されて、「大陸地殻が増加」する。
 
のちに「付加体の底付け」などで「広域変成帯」が地上に「ドーム状の隆起」をし、地殻下部の花崗岩が地上に隆起すると「花崗岩バソリス帯」となる。
そしてこの間には「前弧海盆堆積体」と「付加体」が形成される。
 
 
   「大陸衝突型造山帯」
 
 大陸が衝突するまでに先行して太平洋型造山帯が形成される。
 海洋プレートに引きずり込まれるように、大陸地殻の大陸棚の部分(受動的大陸縁という;海洋プレートの沈み込みがなくて付加体がない)も沈み込みを始める。すると島弧火山の活動が収束する。
 
その頃に、前弧域が引っ張り場となりマントルの上昇により海洋底をもつ前弧海盆が形成される。
 
やがて沈み込んでいる海洋プレート(スラブ)の部分が大陸地殻から破断してマントルへ落下すると、引きずり込まれていた大陸地殻に「浮力の回復」が起きて上昇を始める。
すると大陸棚の堆積体が「超高圧-高圧型の変成岩」となり「広域変成帯」として地上に絞り出されるように上昇する。
 
上昇した広域変成帯の上部には非変成の大陸棚堆積体があり、さらにその上部には前弧海盆の海洋底の一部がすくい上げられて「オフィオライト」として観察される。
 
この大陸棚堆積体やオフィオライトの地帯と太平洋型造山帯の花崗岩バソリス帯や低温高圧型広域変成帯や島弧火山岩類(構造侵食でない場合もある)との境界が「大陸縫合帯」となる。
   
 衝突が継続することで大陸地殻がさらに下部に押し込まれることで衝上断層がいくつも形成される。
すると広域変成帯は大陸地殻の底付けがされることになり、約100Km四方の山塊が正断層をともなうドーム状に隆起し帯状に山地が連なる。
 
  以上が「造山帯」の概念の一部になります。
 
 
・高校地理においては、現在の地上の山岳地形を、
「新規造山帯(中生代~現在)」は険しい山で、
「古期造山帯(古生代)」はなだらかな山になると、
このように地形を地質学の造山帯の新旧のみで説明していますが、これは適当ではありません。
 
なぜならば、
新規造山帯であっても平原や高くない山があり、
古期造山帯であっても現在では険しい山岳地帯になっている場所があるなど、現実の地形に合っていないからです。
 
・以上のようなことから山岳地形の説明には、
新規造山帯と古期造山帯の使用をやめて、
学習者に大きな誤解を与えないようにします。
 
・山岳地形の説明には、「大・中・小起伏」のような区分で十分表すことができます。
 
具体的には貝塚爽平氏が整理したものを使用します。
(詳細は論文に図が掲載されています。)
 
・そして以下のように隆起の原因(原動力)から山岳を分類します。
 
「隆起の原因から分類した山岳地域」
 
島弧型・・・日本列島など
コルディエラ(陸弧)型・・・アンデスなど 
衝突型・・・ヒマラヤ、アルプスなど
地溝(リフト)型・・・東アフリカの大地溝帯
復活(再生)型・・・アジア内陸の天山、崑崙など
大陸縁の大崖高地(リフトのなごり)・・・オーストラリア東部など
地殻均衡回復型(地殻の厚化でアイソスタティックに隆起)・・・ロッキー、アパラチア、ウラル、東シベリアなど
 
(あとこれに「ホットスポット型・・・ハワイなど」を加えると良いのでは?)
 
・もうお分かりでしょうが、
この分類の中では地質学で言うところの「造山帯」は
島弧型・陸弧型・衝突型の3つでしかありません。 
つまり、「造山帯」以外の場所でも山はできるのです。
 
 
 
2.「変動帯」に関して
 
・山などが出来る場所の説明として「造山帯」に替えて、
より巾の広い「変動帯」という語と概念を導入します。
 
・変動帯(mobile belt)とは、
プレートテクトニクスで説明されるところの、
おもに「活動的なプレート境界」すべてを指した言葉になります。
なのでプレートテクトニクスとの整合性が大事になります。
 
 つまり変動帯とは、地殻深部からの構造的な地殻変動が起きている場所で、すべての造山運動を含むということになります。
 
・この変動帯を使用すると、
ほとんどが安定地塊、つまり古期造山帯よりも古い造山帯のアフリカ大陸に、変動帯のラインが引かれることになります。
これで大地溝帯の「地溝(リフト)型」による高原や山地の説明が矛盾なくすることができます。
 
 またアジア内陸部の「復活(再生)型」にも変動帯のラインが引けます。
 
・ここで大事な点は、
地質学の「造山帯」との関係をはっきりとさせることです。
先の項目でも書きましたが、
造山帯は「太平洋型」と「衝突型」しかありません。
 
 つまり地質学の「造山帯」は、
変動帯の中の「せばまる変動帯」のみで起きる造山運動と地質構造を指している、
ということを理解しなければなりません。
 
(詳しくは論文の表1にまとめられているので見てください。)
 
 
 
 
3.安定地塊(楯状地・卓状地)に関して
 
 この地質学用語ほど地理の学習者に誤解を与えている言葉はないでしょう。
 
 
a) 安定地塊(クラトン;craton)の定義は、
 「先カンブリア時代の変動帯である」となります。
 
 分ったようで、分らないこの定義を説明してみます。
  (余計にややこしいかも知れませんが)
 
・ 先カンブリア時代は約46億年前~5億5千万年前までの間になります。
このうち最古の大陸の地質年代は約40億年前からになります。
この年代はほぼ海のできた年代と考えられます。
 
 なぜならば、ほとんどの大陸地殻は太平洋型造山帯の、島弧とその下部のTTG(花崗岩の仲間)で作られるからです。海水があると「含水鉱物」が出来て、地下深部で融けやすくなり、マグマができるからです。
 
 なお、「衝突型造山帯」では大陸地殻は増えません。
 
・海にはこの島弧があちこちに出来て、これが平行に衝突した場合に合体して小大陸になり、小大陸どうしが衝突・合体して中大陸へ、と言う具合に次第に大きな大陸へと成長します。
 
 そして約19億年前には約8割の大陸が集合・衝突して、最初の「ヌーナ超大陸」が北アメリカを中心にできたとされています。
大陸が衝突するとその造山帯で特有の変成岩が出来るので、年代と衝突したということが特定できるのです。
 
 この超大陸は短期間で分裂したのですが、これが現在の安定地塊の中心部となります。
  
・ この図には40億年前から現在までの陸地の年代が色分けされています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/120/1/120_1_Cover01_1/_pdf
 
 紫や青の部分は最初の超大陸に参加した陸地が含まれていると考えられます。
 
 その周辺に帯状に太平洋型造山帯ができて、
次の年代の地殻が形成されて大陸が成長します。
また 別の小大陸と衝突したりして大きくなります。
 
・成長した大陸が再び集合・衝突し、超大陸となります。
約10~7億年前の間には「ロディニア超大陸」があって、
この時出来た衝突型造山帯を「グレンビル造山帯」といいます。
この超大陸が分裂して、 
約5~4億年前の間には「ゴンドワナ超大陸」があって、
太平洋型や衝突型造山帯の「パンアフリカ造山帯」ができました。
 
 この2つの造山帯は地球史上最大規模の造山帯になります。 
 
・ ここまでがほぼ先カンブリア時代になるので、
ベージュ、黒、薄緑の部分までが「安定地塊」になります。
 
 その周りを茶色と黄色の古生代の変動帯で出来た地殻が取り巻いています。
 
以上、安定地塊には約34億年間の、それ相当の歴史があるということです 
 
 
・「大陸地殻の歴史」http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/kyo/Rika-B/htmls/continent_crust/index.html「大陸地殻成長率曲線」がジルコンの分析などで新たに研究されています。参考に読んでみてください。
 
 
  
 
 
b)楯状地(shield)とは、
 
・ 安定地塊の地質構造を説明するもので、地形は関係ありません。
 「地形は関係ない」と書きましたが、
安定地塊は新しくても約6億年前にできた土地ですから、
当然長期間の侵食作用を受けてなだらかになります。
 
 特に氷期の大陸氷床による激しい浸食を受けた楯状地はなだらかです。カナダ楯状地のハドソン湾周辺や、バルト楯状地のフィンランドとロシアのカレリアに広がる湖水地帯などです。
 
しかし、ギアナ高地のように古生代以降に隆起をしている楯状地もあるし、南極大陸のように4千m級の山がある楯状地もあるし、アフリカ楯状地は全体が山地になっているので、地形は関係ないのです。 
 
 
・ 表面の地層は削られて、
地下深部の火成岩(花崗岩)や変成岩(片麻岩・結晶片岩)などの当時の年代の基盤岩という地質が、広く地表に露出した地域が楯状地なのです。
 
 
・ 地球の侵食作用はとても大きくて、世界の侵食量の平均値を適用すると、約3千万年で地表の山はなくなるそうです。
 それでも地上に山があるということは、地球の内部から隆起の原因となる力が働き続けているからです。
 
侵食などを「外的営力、外作用」などといい、
隆起の力などを「内的営力、内作用」などといいます。
 
 
 
 c)卓状地(platform)とは、
 
・ 安定地塊の地質構造を説明するもので、地形は関係ありません。
 
・ 安定地塊が削られて楯状地(基盤岩がむき出し)になった所に、古生代や中生代、(場合によっては)新生代に海水が侵入したことによって、
水平な「海成層」が数100m堆積した地域のことです。
 
・ 日本語の字面から台地のようなイメージを受けますが、
海に水没したのですから楯状地よりも低いことになります。つまり楯状地の周囲とか盆地状の低い部分が卓状地、プラットフォームになったのです。
 
・ここでも「地形は関係ない」と書きましたが、
海に堆積したほぼ水平な層なので、
形成過程からその地形が見えてきます。
 
・ここでの問題は、なぜ「海に水没」したのか、です。
説明として「造陸運動」と言う考え方が出てくるのですが、
安定地塊なのに、なぜ大陸が上下をするのか、ということになります。
 
この回答のひとつに「海水準の変動」というのがあって、
5億~2.5億年前の間には現在よりも海面が上昇していたのです。ピークの約4億5千万年前には400mぐらい上昇していました。また1億年前ごろにも200m以上の上昇があったようです。
 
・wikiより「海水準変動のグラフ:カンブリア紀~現在」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Phanerozoic_Sea_Level.png
 
 原因は、地球全体のマントル活動が活発になって、
プレートの温度が高くなり、海洋プレートが上昇することで海面が上昇したと考えられています。
 海嶺で活発に短期間に若い海洋プレートがたくさん出来ると海底が浅くなります。 海洋プレートの水深と年代の平方根は比例する関係があります。
 
 海嶺で出来たばかりのプレートの水深は約2000m 、
これが年代とともに冷えて重くなるので約6000mの水深で落ち着くようになります。
 海嶺付近が高くなるのは、地下にある熱いマントルやマグマは密度が小さくて軽いため、アイソスタシーで高く浮き上がるからです。
 
・ この海洋プレートがたくさん出来た証拠があります。
リンクで紹介した「地質年代地図」を見てください。
茶色と黄色が5.3億~2.8億年前の古生代の間になるのですが、ちょうど海水準の上昇した時期と重なります。
特にシベリアを取り巻くように幅広く発達しています。
 
 
・ もうひとつ安定地塊のゆるやかな上下の原因として考えられるのが、「地殻変動」です。
 
  2億5千万年前にシベリアで洪水玄武岩の噴火が起きて、100万年以上も続いたそうです。
玄武岩がヨーロッパと同じぐらいの面積にひろがったそうです。 この溶岩台地を「シベリア・トラップ」といいます。
 
これはちょうどペルム(二畳)紀とトリアス(三畳)紀のP/T境界の時期になるので、「大量絶滅」の大きな原因と考えられています。 海水準のグラフでは、一気に海面が低下しているのが分ります。
 
 ・ このように、たとえ安定地塊であったとしても、
シベリアように突然巨大な火山活動が起きたり、
東アフリカのようにプレート境界になって分裂をしたり、
過去のインド大陸のように分裂・移動・衝突をするのは、
先の項目で書いたとおりです。
 
 またインド大陸は移動中にホットスポットの上を通ったので、洪水玄武岩のデカン高原が出来たそうです。
 
このような地殻変動が原因で上下したり、傾いたりしたのでしょう。
 
  
 ・このページも分りやすいです。
 
二宮書店のQ&A「 楯状地と卓状地の区別について」
 http://www.ninomiyashoten.co.jp/chiri_q_and_a/q002.html
 
 
!注 意! 辞書の 「大辞林」の「卓状地」の項には、
 
 ①平坦な広い台地。普通、急な崖で囲まれ、テーブル状をなす。
 
 とあり、ケープタウンやギアナ高地などに見られる
「テーブルマウンテン」の地形を説明する意味もあるので
誤解しないように注意が必要です!
 
 ②が安定地塊の地質構造の卓状地になっています。
   この卓状地は「プラットフォーム」となります。
 
 
 
c)ついでに 「構造平野」とは、地形を表します。
 
 
ここで「平野」の整理をします。
---------------------------------------------------------------------------------  
               
世  A)侵食平野    a)準平原 ・・・もとは山地     
界   (規模が大きい) b)構造平野・・・もとは平ら
  
の   -------------------------------------------------------------------------

平           a)沖積平野・・・扇状地、氾濫原、三角州
野  B)堆積平野   b)台地  ・・・更新世後期の平野が隆起した
    (規模が小さい)         もの。火砕流台地など。 
            c)海岸平野・・・海岸が隆起した。

------------------------------------------------------------------------------------          


注)「準平原」はデービスの「地形の侵食輪廻」に出てくる一つの考え方です。対比のために入れました。
もとが造山帯の山だった安定地塊がなだらかな地形になった場合は「準平原になった」と言えるでしょう。
 
 
 
・ 構造平野(平原、高原)は、
もともと、ほとんど平らだった土地が侵食された侵食平野になります。 
 
卓状地のようにほぼ水平な海生層などが、
海水準が下がったり隆起することで離水して陸地になると侵食がはじまります。
 
 侵食は当然ですが柔らかい地層から削られていきます。
もし柔らかい地層と硬い地層が交互に堆積していると、硬い地層が表面に残ることになります。
 これを「差別侵食」といいます。
 
構造平野も表面に「硬い地層が水平な構造」で残っており、差別侵食を受けた「侵食地形」の平野になります。
 
・ 「地質構造から差別侵食を受けて形成された侵食地形」
のことを「組織地形」といいます。
 
 構造平野(平原、高原)・・・硬い地層がほぼ水平
 ケスタ・・・硬い地層が少し傾いていて、崖ができる
 ホッグバック・・・硬い地層がかなり傾いている
 メサ・・・テーブルマウンテンの上部に硬い地層が残っている
 ビュート・・・メサがやせて円錐状や柱状になった山
 背斜谷・・・山や山脈を横切る縦谷、断層などが谷になる
 組織段丘 ・・・ ? ?          
 
などがあります。
 
 
・実際の地形は複合しています。少しだけ紹介します。
 
・ギアナ高地は1000m~3000m級のテーブルマウンテン(メサ)があります。
このメサは「楯状地」の上の湖に約2千m堆積した「先カンブリア時代の卓状地(プラットフォーム)」が隆起して差別侵食されたものです。
この高地は数億年前(古生代以降)から隆起を始めて、約2千万年前には現在のような地形になったそうです。
このギアナ高地周辺はこういう地形があっても「安定地塊」であり、楯状地も広がっています。
先カンブリア時代の地層が露出しているのです。
 
「ギアナ高地の成り立ち」三浦 克紀氏のホームページより
http://www.intweb.co.jp/guayana/guayana02.htm
空撮の映像
https://www.youtube.com/watch?v=zXYy-o3kdkg
 
 
・コロラド高原は「構造高原」になります。
 
この高原は「安定地塊」に含まれ、地質は先カンブリア時代の基盤岩である「楯状地」の上に古生代、中生代に水平に堆積した地層で、典型的な「卓状地(プラットフォーム)」です。
地形はこの卓状地がほぼ水平な状態で第三紀に隆起し侵食された構造高原で、あの特徴的な侵食地形のテーブルマウンテン(メサ)や岩柱(ビュート)があります。https://www.youtube.com/watch?v=BwFX6ObT4PI
 
・五大湖のスペリオル湖は「カナダ楯状地」の南端になり、
その南側のアメリカに広く堆積した「卓状地(プラットフォーム)」は隆起の時に少し傾斜したため、侵食されてケスタ地形となりました。
その崖のひとつがナイアガラの滝になっています。 
 この映像では「卓状地」の水平に堆積している地層がわかります。
 https://www.youtube.com/watch?v=65E_aShizvw
 
・シベリア・トラップは侵食されて、現在は「メサ」の大地になっています。 
http://blog.livedoor.jp/hakusankamikake/archives/6245520.html
 
 
 
 以上、簡単にですが紹介しました。
高校地理の内容がいつ改訂されるのかは分りませんが、現在のままでは良くないと思います。
 
 私は岩田修二博士の改定案に賛成いたします。
 
 
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中国語の軽読と重読 [現代漢語]

中国語も自然な発音が身に付いてくると、
ピンインの表記が不自然に感じることがありませんか?

それは自然な発音には、
「軽読、重読」(軽念、重念ともいう)があるからです。
これは「強弱のアクセント」のことなのです。


1. 「アクセント」とは?

その言語において習慣的に決まっている
相対的な高低や強弱の配置のことです。

英語、ドイツ語などの「強弱アクセント」
日本語、中国語などの「高低アクセント」
の二種があります。
(このなかの「強アクセント」のことをとくに「ストレス」とも言います。)


2. 中国語のアクセントは?

中国語のアクセントは「高低アクセント」で、
皆さんご存知の「四声」、「声調」のことです。
「軽声」はこの声調が失われたものです。

さらに、「軽読、重読」という「強弱のアクセント」
も存在するのです。
しかし、入門段階での煩雑さを軽減するためか、
この点に関して書かれている入門書などは皆無です。

もっとも、この「強弱のアクセント」は、発音や聞き取り練習を重ねるうちに自然と体得できているものだ、ともいえます。

このあまり言及されない「軽読、重読」ですが、
現実に存在しているのですから、
辞書においてはきちんと表記をする必要があります。

そのことを「中国社会科学院言語研究所」で編纂された
「现代汉语词典 」の巻頭にある「凡例」の「注音」の項目で見ていきましょう。


3. 「 知道 zhī・dào 」 このピンイン表記の意味は?

凡例 11.を翻訳しました。
「ふつうには軽読、時として重読する文字。ピンインの上に声調符号をつける、ピンインの前に点を加える。

例 「  因为 yīn・wèi 」
この「为」の文字は普通には軽読、ある時には4声で読んでもよい。」

にあたります。

つまりこの「知道」の「道」は完全な軽声ではなくて、軽読になるのです。


4. 「軽読、重読」とは?

軽読とは、その文字(漢字)を軽く読む、弱く発音するのですが、声調を変えて読んではいけません。
この声調を変えない点が軽声とは異なります。

重読は軽読の反対で強めに、はっきりと発音します。
このときも声調を変えて読んではいけません。

最近のNHKの講座でも、まず聞かない文法用語です。
私は陈文芷老师のラジオ講座で習いました。(年がばれる?^^)

陈老师が朗読の参考書を出しています。
『挑戦!朗読中国語』陳文芷著 NHK出版
http://sckobe.exblog.jp/3852941/


5. その他の例は?

凡例 12. を翻訳します。

「その他の成分が入ったときに、軽重の変化がある語句には、声調記号と前に点、さらに二重斜線を加える。

例 「 看见  kàn//・jiàn 」
  「 起来 qǐ//・lái  」 この「见」と「来」は軽読です。

「看得见、看不见」
「起得来、起不来」 この「见」と「来」は重読です。


「起来」にはさらに 「//・qǐ//・lái 」の表記があります。

これは動詞や形容詞の後ろにつく補語になっていることを示しています。

例 「拿起来」 「好起来」 この 「起来」は軽読です。

これに「得や不」が入ると変化します。

例 「拿得起来、拿不起来」 この 「起来」は重読です。

この「起来」の間にさらに宾语(目的語、連用修飾語)が入ると

例 「拿得起枪来」  「拿不起枪来」

 この「起」は重読で、「来」は軽読になります。

「上来」 「上去」 「下来」 「下去」 「出来」 「出去」

などもすべて同じように変化します。注音記号も同じです。


6. 日本で発行されている辞書では?


私が手元に持っている辞書は、

「岩波 中国語辞典 簡体字版」

「中日大辞典 (増訂第二版)」 愛知大学

「中日辞典」 講談社

「现代汉语词典 2002年增补本」 です。

このうち日本発行の3冊を各辞書ごとに見てみましょう。

  
  「岩波 中国語辞典」

この辞書は、天才的なリスニング能力を持っていた

倉石武四郎氏が著者で、

北京語がとくに詳しく取り上げられています。

入門から中級までは、用例が多くて役に立ちます。

難点は最近の新しい単語が収録されていないことです。

単語の配列がピンインのA,B,C順という、

ほかに類のない特徴を持っています。

私がもっとも愛用した辞書でもあります。


「序説」の10で

「・・・「軽声」にも、固有の「声調」をほとんど失ったものと、

なおある程度これを保留しているものとがある・・・」

このように「軽読」の存在を述べています。さらに、

「一つの語が文のなかに用いられたとき、
文の硬さ軟らかさに応じて、「軽声」の程度に変化の起こることがある。

たとえば、guānxi (关系)という語が普通の会話で用いられるときは、xi は「軽声」になるが、もし、guānxì zhòngdà!(关系重大!)のようにおもおもしく言されるときは「軽声」化しない。

この辞書ではこれらの差についていちいち取り上げていない。」

このように「軽読、重読」の存在があることを明記されていますが、「軽読、重読」としての説明はありません。


辞書の注音記号としては、

「凡例」1見出し語 (9)で

「・・・やや「軽声」に近い音節は、普通の体のローマ字を用いながら、「声調符号」を加えた。」

とあるように、「軽読」の文字(漢字)が分るようにピンイン表記に工夫がされています。

しかし、「现代汉语词典」とは少し違いがあります。


   「中日大辞典」 愛知大学

収録単語数が約15万語と多いので、本を読むときの単語調べにとても役に立ちます。

現在は第三版が2010年2月に刊行されています。


凡例 7. 見出し語の注音 B)軽声の処理 より、

軽声の処理は段階にわけ、

①場合により軽声となる程度のもの

②常に軽声に発せられるもの

③常に軽声に発せられるもの(語気助詞、接尾字など)

このようにすべて軽声で分類し、「軽読、重読」については書かれていません。


   「中日辞典」 講談社

コラムで発音のゆれなどについて書かれていて、興味深い内容です。

凡例 発音表示などについて より、

4 (b)ふつうは軽声に発音されるが、時によっては本来の声調にも発音される場合、ともに ; で区切って併記した。

この辞書でも、軽声については説明されていますが、
「軽読、重読」については書かれていません。


・私はこの4冊の辞書での
何個かの単語のピンイン表記の違いを一覧表にしてみたのですが、かなり煩雑になり、理解しにくいと思うのでここには書きません。

ただ、一覧にしたものを見て言えることは、

出来れば辞書は2,3冊以上を読み比べるのが良いということです。
それぞれの辞書には得手、不得手があるようですから。

その点から言えば、電子辞書の串刺し検索「ディクショナリーリンク機能」等はとても有効な機能であるといえます。

しかし、なぜ「现代汉语词典」に明確に書かれていることが日本の辞書に書かれていないのか不思議です。

なお、各辞書でピンイン表記のきまりが違うので、
一度は凡例に目を通しておきましょう。


7. 電子辞書の発音では?

私の使用している電子辞書は、
「キャノン ワードタンク V903 」で発音が聞けるのは、

「中日大辞典 (増訂第二版)」 愛知大学

「中日辞典」 講談社  の二冊だけです。

この二冊を聞き比べてみましょう。


  「中日大辞典 (増訂第二版)」

この辞書で軽声になる単語のうち、
「①」の単語は軽声に発音せずに、
声調通りに発音しています。

「②、③」の常に軽声の単語と、
語気助詞や接尾字がついて軽声になる単語が、
軽声の発音になっています。

しかし「现代汉语词典」で軽読になる単語は、
軽読にはならず、
声調通りに発音しています。


  「中日辞典」 講談社

この辞書では、軽声になる単語では、
軽声での発音と声調通りの発音の、
複数の発音を聞くことができます。

例 「 因为 yīn・wei ; yīn・wèi 」 

しかし、軽読の発音はありません。

やはり「现代汉语词典」の発音がないのが残念です。

皆さんのお持ちの電子辞書ではどうでしょうか?
ぜひご意見をお聞かせ下さい。


8. 陈文芷老师のラジオ講座での練習は?

1980年代の陈老师の講座は応用編で、上級に近い中級以上の内容でした。

陈老师は流暢な日本語を話されますが、この講座では中国語のみ使用して講義をして、それを通訳する日本人の斎藤泰治先生がいる、という形式でした。

「自由谈话」のコーナーでは、
播音员の方も普段のしゃべり方になって、
台本通りでない、とても自然な中国語を聞くことができました。

講座では、
すでにここで述べた補語になる場合の軽読や重読のほかに、一つの文の中での「軽読、重読」の練習問題がありました。

初めに陈文芷老师の講義の一部を紹介します。

什么叫‘重读’我还没有讲。

我们念一句话的时候,绝不是每一个字都是一样高,
一样长,一样清楚的。

如果你们注意的话,就会发现一句话里边有的地方很清楚,有的地方略带而过。

念得清楚的地方就叫‘重读’,略带而过的地方可以叫‘轻读’。

日訳

何を「重読」というのかまだ言っていませんでした。

私たちが一つの文を読むとき、すべての漢字を同じような高さ、同じような長さ、同じようにはっきりとは読みません。

もし皆さんが注意していたなら、一つの文の中であるところははっきりと、あるところはさっと読んでいることにすぐに気がつくでしょう。

このはっきりと読んだところを「重読」、さっと読んでいるところを「軽読」と言えるでしょう。

例句

名字也是一种标志,在性别方面特别是这样。

名前もまたある種の記号です、性別の面では特にそうです。

講義

状语是应该重读的,可是有时在同一语句话中出现几个状语不能全重读。就需要从意思上分析后决定主次。

比如‘在性别方面’比‘特别’更重要,要重读。

日訳

状語(動詞、形容詞の前で状態、程度、時間、場所などを表す修飾成分。連用修飾語)は重読すべきですが、同じ一つの文中に何個かの状語がある場合はすべてを重読できません。意味のうえから分析して主、副を決めるのです。

たとえば「在性别方面」は「特别」よりも重要ですので重読します。


・さらに講座では、「軽読、重読」以外にも、一つの文を読むときに、どこで「停頓」や息継ぎをするべきなのかなど、文章を読むときに注意すべき「中国語朗読のテクニック」を総合的に講義されています。

興味がありましたら、前述の参考書を読んでみてください。


 以上でこのノートを終わります。

機会がありましたら改めて、陈文芷老师の講義の内容などを書かさせていただきます。


多谢各位阅读!
タグ:中国語
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